ちょっと聞かれたので、わかる範囲で書いてみます。
今回は喪中のため、ちゃんとしませんが
年越しは、そばじゃなくて、豚の骨つき肉を塩漬けにして煮た「豚骨」(ウヮンホネ)。もともと各家で豚を一頭つぶしてたころの名残りで、家長が一番大きい肉(大腿骨のところあたりかな)を食べます。1度で食べきれない位大きいので、少しずつ、お正月に入っても食べます。
お正月は、三献(さんごん)から始まります。
1 モチの吸い物
(魚、モチ、エビ、卵、かまぼこ、など
奇数の数の具を入れる。だしは魚系)
2 刺身
(刺身2切れとしょうがの薄切り一枚で、合わせて3切れ)
3 肉の吸い物
(鶏や豚などでだしを取ったもの。
具は肉だけとか、あおのりが少し入るくらい)
あんまり自信ないけど、確かこんなんです
吸い物が2つ出るところが、すごく不思議。
ちなみに、これは奄美大島北部の風習で、南部では大きな吸い物椀が1つだそうです。
これは格式高いものなので、家長の仕切りで、1から順番にいただきます。1つのお椀を食べ終わるまでは、手に持ったままで、置いてはいけません。全て食べ終わるまでは無言なのが決まりです。
モチ何個食べれるか家族で競った、関東のお雑煮が懐かしいよぉ…
お正月は各家で宴会があって、お客様にも、まずこれが出されます。
つきあいが多くて何件も回る人でも、これだけはいただくのがマナー。
逆に、迎える家では、これを出さないと
「あの家は吸い物も出さんで…」
厳しいいいいい
これってなんか、全てにおいてユルイはずの島っぽくない。
実は薩摩の役人が持ち込んだ風習なんじゃないかなあ。
いかにも封建的。
南部の大きなお椀は、途中で置くのも自由みたいなので
役人の出入りが多かった北部だけ、厳しくなったんじゃないかな。
そもそも、何人前って数えて材料を用意しなきゃいけない料理って
ほぼ大皿料理の島では他に思い浮かばないし、
三献の、特にモチの吸い物には江戸懐石と似たような印象があって
武家の格式のようなものを感じます。
また、水道がない頃は、若水くみといって、
元旦の夜明け前の暗いうちから、
誰よりも早くと競って、一番若い水をくみに行ったそうです。
この水で身を清めてから、三献。
島では親戚づきあいも広いから、
お正月は、たくさんお年玉袋を用意して
いつでも渡せるように準備しないとです。
存在自体あんまり知らない人が、皆里帰りしてきたりして(泣)
旧暦も残ってるので、お正月飾りは旧正月まで飾っとく家もよく見かけます。